早期教育は役立つのか ~子供の一生を左右する早期教育は慎重に

早期教育の必要性

東大パパのGo!Go!業!という面白いサイトを見つけました。

その中に「早期教育は無意味だと考える根拠」と題したページがありました。

引用しながら、管理人自身の経験も書いて行こうと思います。

自分自身が中高一環のいわゆる超進学校で6年間過ごす中で見た同級生達の姿が、早期教育は無意味であると私に確信させました。

早期教育は、言い換えれば子どもを限界まで早熟たらしめようという教育です。スタートダッシュを決めることを非常に重視するという考え方です。

しかし、中学入学時点でトップクラスの成績を誇っていた同級生のほとんどが、高校三年生になるころには見る影もありませんでした。

(中略)

中高一貫校のトップクラスの顔ぶれは、6年間で残酷なくらいきれいに入れ替わってしまいます。最終的にトップクラスにいるのは、のんびりしていても中学受験くらいは何となく合格しちゃって、入学後何かのきっかけで本格的に勉強してみたらどんどん伸びちゃったというタイプがほとんどです。

今まで教えてきた子供たちにも東大パパの言葉はよ~く当てはまります。

いっぱいいっぱいのところまでやって、何とか第一志望の最難関中学校に合格した子が、大学受験では、「いったい何が起こったの?」というぐらいいい結果を出せなかったり、逆に、中学受験段階ではまだまだ発展途上で、志望校まで成績が届かず、第2志望校や第3志望校に入学した子や、そもそも第1志望校をその時の実力相当なところで選び、その学校に進学していった子らが、中学・高校の6年間で驚くほど成績を伸ばし、最難関の大学に合格していくということはよくありました。そして、その「いっぱいいっぱいやって」いた子に、早期教育の経験者が多いようでした。

こうした自分自身の経験から、早期教育は無意味であるどころか、弊害の方が大きいと思うようになりました。

何より、能力の器を極限まで大きくすることは、人間が幸せになるための必要条件でも十分条件でもないことに、いいかげん気付くべきです。人間が幸せになるための必要十分条件は、ありのままの自分の器を自分自身が愛して大切に育て続けることです。

自分自身の能力不足や情けなさまで含めて、自分の業も含めて愛してやらなければ、人は幸せになれません。

東大パパは「親が我が子の業まで含めて愛してやらなければいけません。」とも書いています。

早期教育は、ありのままの子どもの状態、器を否定することから始めます。わが子の持っている器は小さいから、それを早いうちから無理に大きく大きく育て上げる必要がある、という、子供自身の可能性の否定から始める教育です。ありのままのわが子の持っているものを、それではだめでしょと、子供に親の意識を押し付ける教育です。と東大パパは言います。

すべての早期教育はダメ?

早期教育のすべてが、子供のありのままの姿の否定というと強い反発が来そうです。

そこで、管理人は次のように考えることにしました。

役に立つ早期教育と役に立たない早期教育がある

能動的か受け身か

➤ 役に立つ早期教育では、子供は本当は能動的である。役に立たない早期教育では子供は受け身である。

押し付けるか押し付けないか

➤ 役に立つ早期教育では、親は決して押し付けない。役に立たない早期教育では親は押し付ける。

焦るか焦らないか

➤ 役に立つ早期教育では、親は焦らない。役に立たない早期教育では親は焦る。

できないと叱るか叱らないか

➤ 役に立つ早期教育では、親は子をできないことを理由に叱らない。役に立たない早期教育では親は子をできないことを理由に叱る。

抱きしめるか冷たくあしらうか

➤ 役に立つ早期教育では、親は子を抱きしめる。役に立たない早期教育では親は子を冷たくあしらう。

追い立てるか追い立てないか

➤ 役に立つ早期教育では、親は子供を追い立てない。役に立たない早期教育では親は子供を追い立てる。

希望を与えるか破壊するか

➤ 役に立つ早期教育では、親は子供の一生を希望で満たす。役に立たない早期教育では親は子供の一生を破壊する。

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