名門校とは?
2015年3月7日付のプレジデントオンラインに次のような記事が掲載されました。
「名門進学校」と聞くと「ガリ勉の館」を思い浮かべる人も多いかも知れないが、実際は違う。
開成にしても、灘にしても、筑駒にしても、校風は自由。学校行事は生徒たちの自治による。
宿題はドリルよりレポート形式が多く、特に中学生のうちは、実験やフィールドワークなどの機会も多い。
教科横断型の授業も充実している。「真のゆとり教育」と呼べる内容だ。決して東大一辺倒の教育をしているわけではない。
1982年以降東大合格者数1位を独占している開成の柳沢幸雄校長は「生徒たち全員に東大に行けと指導すれば、250人だって合格させられる。しかしそんなことをして何の意味があるのか」と問う。
戦後の新学制移行以降一度も東大合格者数トップ10から外れたことのない唯一の学校である麻布の平秀明校長は、「最終学歴麻布でいいと思える教育をしている」と言う。
一般には、いい大学にたくさんの生徒を送り込むのが名門校だと思われがちだが、むしろ「大学に行かなくてもいい」と思えるほどの教育をしている学校こそ「名門校」と呼ばれる。
しかも、学校のレベルが上がれば上がるほど、受験に特化した指導をしなくなるという逆説も成り立つ。
これは、おおたとしまさというライターがその著書「名門校とは何か? 人生を変える学舎の条件 (朝日新書)」を著した際、プレジデントに寄稿した文の一部です。
大阪桐蔭中学校・高等学校は、高校野球や高校ラグビーで全国大会に数多く出場し、何度も優勝しているスポーツの名門校です(最近では、高校野球の第100回大会で、2度目の春夏連覇を達成地ましたね。)が、大学進学の実績においても、近年、京大の合格者数が常に40名以上と、関西では、灘・東大寺・大阪星光・甲陽・洛南・洛星・西大和といった難関校に準じる実績を上げてきています。2018年度の大学入試でも、京都大学合格者数が51名と、健闘しています。
しかし、大阪桐蔭は、進学校ではあっても、いわゆる名門校に含まれません。
関西の中学入試で、男子の難関校といえば、先に挙げた、灘・東大寺・大阪星光・甲陽・洛星の5校、女子の難関校は神戸女学院と四天王寺、共学では洛南と西大和を指すのが普通です。受験生の保護者としては、少なくともこの中の1校に入学させたい、そう強く願っていることでしょう。
実際、入試の難易度でもこれらの学校は群を抜いていますし、受験人口が減少してきている現在でも、その難易度に大きな変化はありません。
しかし、大阪桐蔭は常にこれらの学校の滑り止め、2番手の位置に甘んじています。
最難関の学校を狙う受験生の親の感覚としては、男子であれば
灘・東大寺・洛南・大阪星光・甲陽・洛星・西大和に合格、入学 → 中学受験成功
女子であれば
洛南・神戸女学院・四天王寺に合格、入学 → 中学受験成功
という感じが非常に強く、
大阪桐蔭に合格、入学 → (何となく)失敗
という感覚を持っているのではないでしょうか。
もちろん、中学受験成功となる学校にもランクはあり、男子なら、灘なら大成功、東大寺・甲陽・大阪星光あたりならまずまず成功などの雰囲気はあるかもしれませんが、ともかくこれらの学校は、親にとっても子にとっても「値打ちが違う」感覚はあるのでしょう。
これら難関校すべてが名門校かどうかは別にして、大阪桐蔭に合格を取り、入学させるときの「何となく敗北感」は、大阪桐蔭が、大学進学実績だけでは測れない、名門校の定義(もしあるとすれば)を一番大きく外れている気がするからでしょうか。
それでは、なぜ大阪桐蔭は名門校に含まない感覚になってしまうのか?探ってみましょう。
大阪桐蔭が名門校になれない理由1
勉強ばかりさせる。
休みが短い。というか、ほとんど無いに等しい。そして、課題が山のようにある。
これは、名門校の特徴である「生徒の自主性を重んじる」方向と真逆を向いている、ということですね。
灘や東大寺など、名門と言われるところは、基本的に「強制的に勉強させる」ことはありません。
親にしてみたら、大阪桐蔭に入学して、さらに塾や予備校といったダブルスクールを避けられて、しかも、力までつけてくれてありがたい、と思うべきなんでしょうが、それと、「名門=プライド満足」とは別物ですから・・・
大阪桐蔭が名門校になれない理由2
コース制があること。
灘や東大寺、甲陽に大阪星光、西大和も洛星も洛南も。コース制などありません。(学年が上がっていけば当然文系・理系には分かれますが)
コース制がある学校で名門校はないのではないかと思います。
(この理屈で行くと、四天王寺も名門校ではなくなります。)
大阪桐蔭が名門校になれない理由3
入試のやり方がせこい。入試の合否結果の出し方が不透明。
別に大阪桐蔭に限ったことではありませんが、入試の日程の組み方など、何となくみみっちい気がします。
何かというと、まず3回もある入試日程。
灘や東大寺、洛南、甲陽、大阪星光、神戸女学院、四天王寺、それに西大和も1回だけの入試。プレミア感が違います。
(西大和は2回入試をやめましたが、地方入試はやっています。洛星も後期があります。入試の値打ちは、気分のものかもしれませんが、何となく下がる気がします。)
入試に関してもう1点。
午後入試。最初に始めたのは大阪桐蔭でした。ますますプレミア感は減少しますね。
だから、この波に乗った清風南海や西大和も、「せこい」「みみっちい」感があるわけです。
しかも清風南海は、午後入試2段階(しかも算・理2教科!)という究極のみみっちさを体現していました!
そういう意味で、清風南海も桐蔭と同じく名門とは呼べないでしょ?同じく、西大和も・・・
入試の合否の結果の出し方が不透明、というのは、12月にあるプレテストで高得点をマークしていれば、何となく本番に失敗しても拾ってくれること。
保護者や塾の講師としては、これはありがたいことなんですが、やはりプレミア感に欠けます。
大阪桐蔭が名門校になれない理由4
京大受験を無理強いする。
在校生の愚痴で、学校側がやたら京都大学を進めてくるとよく耳にします。それも、成績が少し足りないという生徒にまで。
センターが少し悪い理系志望には工学部地球工や看護を進める。
大阪大学や、神戸大学を希望しても、まずは京大なのです。
その結果、学部・学科は別として、京大の合格者数は大幅に増えました。
でも、本人の希望を無視してまで、大学名にこだわるのは行き過ぎでしょ?という訳で、見事、大阪桐蔭は名門校に入れないのです。
拘束時間が長すぎて困った例
他に、「拘束時間がひたすら長い割に力をつけてもらえない」という声も、保護者の方からうかがったことがあります。
学校を信じてさせていたが、力をつけてもらえず、かといって個別に補強するために家庭教師や個別指導を頼ろうとしても、拘束時間が長く、そのための時間が取れない、ということでした。
指導が形骸になってくれば、こういう弊害も出てくるのでしょう。
実際学校の指導だけで成果を上げている生徒も多くいるということなので、うちの子が合わなかったのか、と後悔されていました。
スパルタは名門校に到達するまでの通過点
灘や東大寺学園など、多くの名門と言われる学校は、やはり初期には厳しい指導をしていた時期があります。
厳しい指導で大学進学の実績を作り、徐々に優秀な生徒も集まってくる。
優秀な生徒が集まりだすと、今まで通りのスパルタ指導が減ってきます。だって、優秀な子は、その気にさせるだけで結果を残していきますから。
こうして、学校がある意味放置しても実績が上がるようになっていき、優秀な子がさらに集まり、受験勉強に必死にならず、やりたいこと、興味のあることで成果を上げる子が続出するようになり、名門校になっていく。
洛南や西大和はつい最近までスパルタ式の指導を展開していましたが、最近ではそういうこともなくなってきています。
大阪桐蔭は名門校にならなくてもいい
しかし、ここまで延々、大阪桐蔭の悪い点を書き連ねてきましたが、もちろん他の学校に比べていい点もたくさんあります。
少し長いですが、インターエデュの掲示板に投稿された、おそらく本物の保護者の意見を紹介します。
合格おめでとうございます。新高2の一貫生父親です。
学校としては、近年色々なことがあってマスコミや世間から散々叩かれましたが、学校の中は生徒みんなが高い目標を掲げて、先生方がそれを全力でサポートしていくというスタイルは愚息の話を聞いたり、様子を見たりしていると中学入学時から今も変わってないように思います。
学校のやる気がないから生徒の通塾率が上がってきているとかよく言われますが、おかげさまでうちは中学1年から今も塾なしで十分それなりの学力を付けてもらっていると感じています。
京大の合格者数が2年前をピークに年々減ってきているとか、昔に比べて学校のやる気がなくなったと言われたり、中学入試の偏差値が急に下がったりしていますが、愚息にしてみればそんなことは全く興味がないとのことで、自分の将来の夢をしっかり持って毎日頑張っています。
外から何かと色々言われる学校ですが、要は子供に合うかどうかです。
うちは中受では第一志望残念組で桐蔭に入学しましたが、通わせてみると愚息が桐蔭との相性がすごく合っていて、通わせて本当に良かったと思っています。
学校のやる気がないと感じるかどうか…
これから入学されて、子供の話を聞いたり、学校の懇談などに足を運んだりして様子を見ているとよく分かると思います。
どなたかが書いておられましたが、いい学校なのかどうかは要は子供との相性次第で良くも悪くもなります。
面倒見のよい熱心な学校を望むのであれば、桐蔭は十分いい学校だと思います。
そうなんです。いい学校か、そうでないかは実際に通う子供によってまるで変ってくるということです。
生徒自身が、ここは自分に合ったいい学校だと思えばそれはいい学校なのです。
名門であろうとなかろうと、生徒自身にとってみれば、ほんとうはどうでもいいことなんですね。
親の側が「ここはいい学校だ」と思えることが、名門かどうかよりももっと大切なことだと思います。
13歳から18歳という、精神的にも肉体的にも一番成長する6年間をどう過ごすのか。いい友人に巡り合い、いい教師に巡り合うことができれば、どこの学校に行こうが、関係ありません。
そして、その先にある大学受験という壁をどう乗り越えていくのか。
子どもたちは、教師や友人に大きく影響されながら、自分自身で進むべき道を模索していきます。そのために骨折ってくれる教師が一人でもいれば、その学校に入れてよかったと思えるのではないでしょうか。
子どもたちが、自分の進路を真剣に考え、それに向かって行ける環境であるかどうかが大切なことに思えます。
大阪桐蔭は名門校にならなくてもいい、生徒一人一人にしっかりと寄り添い、厳しく温かい情熱で今まで通り、勉強を熱心に見てほしい、京大、京大と連呼してわが子をその気にさせてほしい。
こういう親や子のニーズにこたえてくれる学校があったっていいじゃないかと思います。(実際、とても熱心な先生方もたくさんいらっしゃるとのことです。)
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